「チューリッヒ日本人学校での現地校との交流」 チューリッヒ日本人学校
教諭 阿部 泰久
チューリッヒ日本人学校は児童生徒数40名程度の小規模な学校です。スイス最大の都市チューリッヒ郊外のウスター市という町にあります。私はここで2000年度〜2002年度までの3年間お世話になりました。
いろいろな経験をさせていただきましたが,今回はその中で,「現地校との交流」を取り上げてみたいと思います。
現地の小中学校との交流は年に2回。1回目は相手校へ訪問し,2回目は日本人学校に来てもらいます。現地校は長年交流を続けているピュント小学校。日本人学校から徒歩10分。こちらの人数が少ないので,低・中・高学年と2学年ずつ組んで行います。それでも人数は10人程度なのですが。相手校は,こちらが低学年なら,1年か2年生の1クラス20数人です。ピュント校にはこちらから担当の先生に連絡を取り,交流希望のクラスが決まります。交流内容は担任の先生の裁量です。
さて,赴任1年目,私は小学校4年生の担任。1人しかいない3年生を加えて8人で交流会に臨みます。1回目はピュント校を訪問。紙製のマリオネット作りの工作です。4人ぐらいのグループの中に,日本人学校の生徒が1人ずつ入るようになります。
ピュント校の子どもたちは色々と作り方を教えてくれたり,話しかけてきたり世話をしてくれたりと積極的でした。でもこちらは自分の名前や年齢を言うのと,相手の名前を聞けた子はまだいい方,というくらい。いつも,会話は心だ度胸だ,日本語でもいいぞ,と言っていても積極的にコミュニケーションを取ろうという姿勢がまず少ないのです。週に4時間もしているドイツ語の時間はいったい何なんだろうと思わざるをえません。
2回目は日本人学校に来てもらいました。この時は習字をしました。筆の運びや書き方を子どもが説明して,いざ開始。しかしやはり初めてでは,とめ,はね,はらいなどはできなくても無理はありません。形をなぞるだけなので,すぐにサラサラと書いては終わってあきてしまいます。こちらの子どもたちも一生懸命教えたり,一緒に手をもって書いてあげたりと悪戦苦闘。それでも最後はピュント校の子どもたちも,自分たちの名前をカタカナで書けて満足していたようです。相手の先生は美術が専門の方(プライベートでは油彩画家。グループ展もやっておられました。)だったので,書道には興味があり,形の良し悪しはよく分かっておられました。先生に所望されてお名前を漢字の当て字で書いたときは冷や汗ものでした。
余談ですが,スイスでは漢字がちょっとしたはやりで,店のディスプレイに使われたり,Tシャツなどの服にもよく使われていました。中学生との交流の時は,自分の服に書いてある「幸福」はどういう意味なのかと聞いてきたり,「愛」を意味する漢字を書いてほしい,自分の名前を漢字で書いてほしい,などのリクエストが殺到しました。だからといって日本への興味,関心があったりするわけではないのですが。
赴任2年目,私は小学校3年生の担任。ピュント校では今度はクリスマスの飾り作り。別の先生だったのですがやはり工作。一緒にできるということもさることながら,スイスの幼稚園,小学校では工作を通じた教育がさかんで,おもしろいネタが豊富にありました。クリスマス飾りというのは薄い半透明の色のハトロン紙を折ったり切ったりして組み合わせて形を作り,窓に貼り付けて飾るものです。窓からの日差しに透けてとてもきれいです。
またまた余談ですが,クリスマス前になると,多くの家で窓にこのような飾りをつけたり,ベランダや庭木,窓に電飾を飾ります。町の中心の通りや家の壁面にも電飾が現れ,華やかです。しかし電飾の色は白一色。聞くところによるとクリスマスは神聖なものだから色の電飾はふさわしくない,お祭りではないとのこと。やはり華やかな雰囲気の中にも伝統の筋は通っているものだと感心しきり。
閑話休題。ピュント校から日本人学校に来てもらう番です。昨年の反省から習字だけではもたないと思い,体育館いっぱいに,習字・折り紙・こま・はねつき・けん玉・縄跳びなどの様々なコーナーを作り,それぞれ子どもたちを係として担当させ,自由に回ってもらうようにしました。このやり方の方が双方のびのびできたようです。普段はおとなしく,あまりしゃべらない子が,一生懸命折り紙のやり方を教えていたり,日本から来たばかりでまだドイツ語もほとんど習っていない子が積極的に誘ってあげたりと,やはり国際交流も最初は語学の壁よりも心の壁だということを実感しました。
3年目は中学2・3年担任で,現地中学校との交流でした。日本との学校制度の違いなど報告したいことはたくさんありますが,そろそろ紙幅も尽きようとしています。その他,現地校との交流の回数や内容,方法について様々な問題や,学校だけでなく現地,地域との交流などについても言及したいところですが,また別な機会で報告できればと思います。
3年間,当研究会の先生方をはじめ,様々な方々のおかげで任期を全うでき,すばらしい経験をさせていただきました。ありがとうございました。
交流の様子